風水の歴史はとても古く、紀元前の中国にまで遡ります。
本Lessonでは、中国4000年の歴史を支えた知恵の一つである風水の歴史の概要と、江西派と福建派と呼ばれる2つの流派についてみていきましょう。
風水の発展を支えた人々
紀元前~2世紀頃 風水の誕生と発達
紀元前27世紀に神話上の名君・黄帝が地理に関する経典を制定し、これが風水誕生のきっかけとなったという言い伝えが残されています。
こうした伝説を除いても、紀元前4世紀頃の書籍には既に、風水的な意味での「大地の気」に関する思想が登場しており、風水が人々の生活の中に存在していたことが確認できます。
その後秦・漢時代になると、堪輿家(かんよか)と呼ばれる地相鑑定の専門家の登場や、数々の風水書が著されるなど、徐々に発達をしていきました。
3世紀以降 風水の達人たちの登場
三国時代の3世紀には、風水の伝統的な祖とされる管輅(かんろ)という人物が登場し、風水をはじめとした中国占術のあらゆる局面に精通した凄腕の占師としてもてはやされました。
4世紀になると、風水書の古典として今でも地位を保ち続けている『葬書』の著者であるとされる郭璞(かくはく)、その後唐の時代になると、歴史を通じて最も重要な風水師といわれる楊筠松(よういんしょう)などの登場で風水そのものの価値も大いに高まりました。
宋の時代には、名だたる風水師が地理と天文の照応理論を整備するなど、風水は時の政治において重要な役割を担うようになっていきます。
江西派と福建派
ひと口に風水といっても、そこには2つの大きな流れがあります。
江西派
中国東南部の江西省で発達した風水の一派を指します。
楊筠松を始祖とする流派で、山勢や水の流れ具合、砂の状態や穴の形など、地形等の形成を目で見える有形のもので判断する巒頭(らんとう)と呼ばれる方法を重視します。
このことから、形法派、形勢派、巒体派などとも呼ばれることがあります。
地勢の実地観察を重んじるため、風数依の必携アイテムとされる羅経はあくまで補助的な道具として利用するという点に特徴があります。
福建派
江西派より遅れて、同じく中国東南部の福建省で発達した風水の一派を指します。
こちらは羅経の厳密な運用によって、陰陽五行思想や八卦、易理(易)、方位などに基づいて吉凶禍福を判断する理気(りき)とよばれる方法を重視します。
理法、理気派、屋宅派などとも呼ばれます。
両派は、互いに相手の長所を取り込み、補完しながら現在に至っているのですが、個人住宅からインテリアまでを占う現代風水においては、風水の王道といえる江西派よりも、時代や社会がどのように変化しても、あらゆるものが五行や八卦などに帰納されるという普遍的な原理にもどして鑑定することができる万能占術の福建派の方が様々な場面で使われることが多い傾向があります。